2020年4月10日、大林宣彦監督が82歳で亡くなりました。
謹んで哀悼の意を表すとともに、当会会長・渡辺千雅の追悼文ならびに
当会10周年記念の会報「なびなび」に掲載した監督のインタビューを再編集してお届けしたいと思います。

 


長岡を愛した大林宣彦監督を偲ぶ  長岡ロケなび会長 渡辺千雅


監督、お疲れさまでした。
さて、雲の乗り心地はいかがですか?
アイラブユーのハンドサインで、あちらこちら寄り道を楽しみながら、空を飛び回っていらっしゃるお姿を想像しています。

余命3ヵ月のがん宣告を受けた監督を約4年、延命させた力は「映画をつくる」ことでしたね。監督にとっての「フィロソフィーありきの映画」とは「映画で平和をつくる」ことであったと解釈しています。

そんな監督に寄り添い、支え続けていらっしゃった恭子さんや千茱萸さんご家族の悲しみを思うと、お慰めする言葉が見つかりません。一日も早く立ち直られますことをお祈りするばかりです。

監督が「長岡の皆さんが花火で平和をつくろうというなら、僕は映画で平和をつくろう。一緒にやろう!」と仰って、握手を交わしたのは10年前になりますね。
それから2年後に長岡映画『この空の花-長岡花火物語』が誕生し、その後、芦別、唐津、尾道との姉妹映画ともいえる”シネマゲルニカ4部作”を遺していただきましたことは、私たち4地域の、いえ映画界の宝となりました。

監督は「ピカソが描いたゲルニカはごく自然に素直に、戦争が嫌なものだというメッセージを世界中の子どもに伝える。僕の映画もゲルニカのようなものだ」と仰っていました。
戦争をテーマにしたこの”シネマゲルニカ4部作”あるいは”厭戦(えんせん)4部作”は、決して風化することなく語り継がれていくことでしょう。

監督、長岡花火をまたご一緒に観たかったですね。
長岡の郷土料理と地酒をまた召し上がっていただきたかった。
監督のダジャレでまた笑わせていただきたかった。
監督、長岡のまちを、長岡市民を愛していただき、たくさんの思い出をありがとうございました。

どうか、ゆっくりと雲の旅を楽しんで、たまには長岡にお立ち寄りください。
私たちはいつものように、「監督、お帰りなさい」とお出迎えしたいと思います。

合掌

 


「なびなび」10周年記念号 大林宣彦監督インタビュー(抜粋)


水道公園

■長岡ロケなびという名称について

フィルムコミッション(FC)はアメリカ西海岸で誕生しました。僕はアメリカで撮影してFCのお世話になって、日本にもこんな組織があればいいのになあと思いました。と、同時に、日本では無理だろうな…という気持ちもありました。

アメリカは映画がリスペクトされている国です。でも日本は残念ながら違う。結局、映画撮影を観光誘致として捉えているんですね。海外からロケ隊が日本にやってきて、そのサポートにがっかりして帰るという事件もいろいろありました。

だから僕は日本ではフィルムコミッションという名称は名乗らないほうがいいと言っていたんです。長岡の場合は「長岡ロケなび」でしょう。これはいい名称ですよね。皆さんの会が「ロケなび」という名称で始まったのも、観光ではなく、映画へのリスペクトという誉れの表現だと思っています。

■長岡花火、そして「この空の花 ─長岡花火物語」への思い

僕は花火が大好きで、僕の映画にはよく登場します。でも花火大会は嫌いなんですよ。本来は神事のはずなのに、集客のため開催がほとんど土日になっていますよね。だから知人に「長岡まつり大花火大会」に誘われたときも、どうせイベント花火だろうけれど、昔の友達に会えるからいいかな程度の気持ちだったんです。それが開催日を聞いてみたら平日で、驚きました。

長岡空襲のあった8月1日に白菊、2日3日は慰霊・復興・平和への祈りの思いを託した花火大会が行われる。それを聞いて「素晴らしい里だ」と思うと同時に、戦争で負けたことを、再生につないでいくその姿に感動しました。

劇中に、画家の山下清さんが残した「世界中の爆弾を花火に変えて打ち上げたら、世界から戦争がなくなるのにな」という言葉が出てきます。僕が長岡で学んだ言葉に、火薬が散って開く=爆発することを意味する「散開」があります。空から落とせば爆弾、下から揚げれば花火、構造は一緒なんです。花火は打ち上げて終わる無駄なものだけれど、爆弾を落とせば金儲けになる。だから人は爆弾を選び、残念ながら戦争は終わることがありません。

でも長岡の人たちは違います。この里は明治維新で負けた側ですよね。維新で日本は薩長一辺倒になってしまった。勝った里がリードしますとね、戦争が終わって平和になったんだからあとは物と金があればいいと、経済主導で物事が進んでいく社会になるんです。花火を打ち上げることで平和を繋ぐというこの素晴らしい思想は、勝った里の人たちには思い付けません。

■平和をつなぐ未来へのメッセージ

「この空の花」公開後に全国から手紙が来ました。なかでも小学生からの手紙がいちばんよかった。「僕はこの映画で戦争のことを知りました。知れば知るほどおそろしくて、いやなものだと思いました。でも知らなくてはいけないことだとも思いました。もっと大人たちは戦争のことを僕たちに教えてください」そんな内容の手紙がたくさん来たんです。

洪水が近くなると蜘蛛は巣を本能的に高いところに張ると言います。今の子どもたちはそんな恐怖を無意識に感じて生きているんです。もしかしたら自分たちが生き延びることができないようなことが起きるかもしれない。彼らはそんな空気を敏感に感じとっています。大人は事情を汲んで騙されて妥協してくれますが、子供だましというのはあり得ません。幼い彼らが、川辺の蜘蛛のように本能的に不安を感じてしまうような、いつの間にかそんな時代を迎えてしまったんです。

戦争を経験した僕としては、二度と戦争だけは繰り返してはいけない、何があっても絶対にいけないという思いが強くあります。映画は世界平和を紡ぐことができます。映画にだけしか出来ない表現があるんです。これからも僕は古里映画を通じて、メッセージを届けていきたいと思っています。