この空の花 - 「長岡映画」製作委員会 この空の花

「長岡映画」製作について

企画の背景

世界中の爆弾を全て、花火に替えたい!

「長岡花火」は祈りの花火です。

 昭和20年8月1日午後10時30分、米軍の爆撃を受けた長岡の空は赤く染まり、街は一夜にして灰塵と化し、1,470余名の命が奪われました。
 その二年後、地獄の底から立ち上がった市民は、戦災復興と平和への祈りを込めて、長岡の空に花火を捧げました。戦中の中断を経て、再び「長岡花火」は祈りの花火として復活。喜び、悲しみ、感謝、鎮魂、人々は時代を越え、毎年惜しみなく夜空を染め上げる華麗な一瞬の花々に、さまざまな思いを託し続けてきました。
 そして毎年8月1日午後10時30分、64年前に長岡空襲が始まった時刻に合わせて慰霊の花火を打ち上げる。更にいまでは日本三大花火と称されている長岡花火は、毎年8月2日と3日の二日間行われています。長岡大空襲、そして近年の中越大震災、長岡の花火とは、まさに私たち長岡市民の再生と希望の象徴なのです。

「長岡花火」それぞれの思い

 あの裸の大将、山下清画伯が描いた「長岡の花火」という名作があります。
 昭和24年の夏、山下清は長岡に現れます。それは放浪中の旅ではなく、日本一の花火を見るためだったのです。その翌年、脳裏に焼き付けた記憶だけで生まれたのが、あの天才的貼絵の技法で描かれた「長岡の花火」です。漆黒の夜空に大小のまんまるい花火が色鮮やかに開いているその絵には、ぎっしりと埋め尽くされた観衆、信濃川の水面に映る花火まで描かれています。花火が好きで、とりわけ日本一が好きだった山下清、名作「長岡の花火」を遺した山下清の素敵な言葉があります。
「みんなが爆弾なんかつくらないできれいな花火ばかりをつくっていたらきっと戦争なんか起きなかったんだな」
 その山下清の描いた「長岡の花火」をいまも家宝として大切に所蔵しているのが、世界の夜空を舞台に活躍し「長岡花火」を支えつづけてきた花火師、嘉瀬誠次です。
 嘉瀬誠次の作る花火は、ゆっくりしんなりと開く。花火にも個性があり、ゆっくり燃えるのが人の気持ちを引っ張るという当代切っての花火師は、復員後の昭和24年からずっと長岡の花火を打ち上げ続けてきました。
「全ての爆弾を花火に換えたいねー。二度と爆弾が空から落ちてこない、平和な世の中であってほしいんだよ。破壊のための火薬を楽しみのために使うんさ」
祖父の代から百二十年、代々花火師の家業を継いだ嘉瀬の思いもまた、山下清と同じなのです。

 しかしその一方で、嘉瀬とは違った思いで長岡花火を見てきた老女がいます。
「花火は嫌いなんですよ、あの音も光も。あの日を思い出すから」
 あの日とは、昭和20年8月1日、焼夷弾で長岡が焼失した大空襲の日です。まだ乳飲み子だった娘を空襲で亡くした老女にとって、花火は胸が締めつけられるような辛い記憶を呼び起こすものでしかなかったのです。長い間、あの空襲の日の忌まわしい記憶を封印して生きてきた彼女とその夫は、毎年長岡が花火大会で賑わう最中、家中の窓を閉め切り「いやだねー、花火は」と言いながらやるせない思いで過ごしてきたそうです。その老女はいま、戦災資料館で長岡空襲を若い世代へ語り継いでいます。そして孫たちにせがまれ、いまでは嫌いだった花火も見るようになったそうです。

 長岡の夜空に、パッと見事な大輪を咲かせ、一瞬のうちに消えてしまう花火。パッと咲いてパッと散る花火にもそれぞれ咲き方や散り方があるように、長岡花火にもまたそれぞれの思いや人生があります。そして、この夏も人々は信濃川河畔に集い、復興を願い、平和を祈って、花火を上げます。
 そこには、還らぬ人に思いを馳せ、この空の花にそっと手を合わせる人がいます。そのはかない美しさに、遠い日の懐かしい記憶をたどる人がいます。大切な人と一緒に眺めるこの空を、いつまでも心に焼き付けておきたいと願う…長岡花火はそれぞれの思いをのせて打上げる、特別な花火なのです。

 終戦から65年を迎える今日。昨年から、太平洋戦争で辛酸をなめた長岡とホノルル両市が日米友好の架け橋となって、世界平和につなげていこうという交流がはじまりました。そして来年12月、過去の恩讐を乗り越えて、平和を願う「長岡花火」が真珠湾で打ち上げられようとしています。もし、実現すれば、「長岡花火」はまさに世界平和のシンボルとなるでしょう。

 また、私たちの住む街は戦禍だけでなく、災害からも不死鳥の如く復興を成し遂げてきました。
 2004年7月、新潟・福島豪雨に見舞われ、多くの家々が飲み込まれました。その傷がまだ癒えぬ同年10月23日、中越大震災によりふるさとの大地が裂けました。私たちは「みんなでがんばろう」と復興祈願花火「フェニックス」を誕生させました。被災者に「立ちあがる勇気」と、世界中からのご支援に「感謝の気持ち」を託したフェニックス花火は、すべての人に感動と涙を与えました。

 私たちの街「長岡」が歩んできた歴史を振り返るなかで、必ず語られる「長岡花火」…世界平和・復興のシンボル「長岡花火」を世界に発信すべく、映画製作を企画いたしました。

 古里映画の巨匠と呼ばれる大林宣彦監督作品
 「この空の花」-長岡花火物語-
 「この空の花」(仮) -長岡花火物語-

 この地域発の地域住民の手による映画作りは、地域活性化のみならず、平和の尊さをあらためて認識する機会になるものと確信いたします。

 日本が世界に発信する「この空の花-長岡花火物語-」の映画化に、皆さまのご支援ご協力をどうぞ宜しくお願い致します。

世界中の爆弾を全て花火に替えたい
二度と爆弾が空から落ちてこない、平和な世の中であってほしいから・・・

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