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Oct

『峠 最後のサムライ』、記者会見

ブログ ロケ支援    2018.10.20   コメント (0)

長岡が生んだ幕末の英傑・河井継之助を描いた司馬遼太郎原作の「峠」の映画化が決定しました。タイトルは『峠 最後のサムライ』。公開は2020年と少し先ですが、撮影はすでに開始しており、県内では2018年9月から11月にかけてロケが行われています。

メガホンを撮るのは「雨上がる」「蜩の記」などの小泉堯史監督、継之助を演じるのは役所広司さんと、豪華な顔ぶれとなりました。このほど、ロケ地でもある北方文化博物館にて記者会見が行われたので、その様子をお届けします!

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Q:タイトルに「最後のサムライ」とありますが、河井継之助を通して描くサムライとはどういうものだったのか。そもそも河井継之助はどんなサムライだったのでしょうか。

小泉監督:要するにそれを知りたくて映画を作るんですよ。最初から河井継之助という人物がどういう人物か分かっていたら作っても面白くないし。だから作りながら、それは分かっていくのではないでしょうか。この映画を作ることで、継之助という人物がどういう人だったのかを知っていける、それが楽しみです。

役所広司:あの時代、最後までサムライというものを貫いた男の役だと思っています。そういう男とはどういう男なのか。この役を通して探りながら、今もがいているところです。

Q:この作品の構想はいつからあったのでしょうか。

小泉監督:司馬遼太郎さんの「峠」に出会ったのは学生の頃です。印象に残っているのは継之助が、太陽に向かって飛んでいくカラスが好きだというところです。そこに惹かれてずっと映画にしてみたいと思っていました。

Q:河井継之助をなぜ役所さんにお願いしたのですか。

小泉監督:継之助を役所さんでというのは脚本を書いているときから思っていました。ただいつか映画化したいと思ってはいたものの、なかな企画が実現しない。こういう脚本を書いたと役所さんに伝えたら「ぜひ!」という熱いお返事があったので、もう1回頑張ってみようと思いました。

Q:撮影にするに当たって継之助の故郷である長岡をはじめ、新潟県内全域でロケをという風に決められたのはなぜでしょうか。

小泉監督:ロケハンを随分したんですけれど、本当にいい場所に恵まれたなという思いが強いですよね。フィルムコミッションの人たちが熱心に本当に良い場所を探してくれました。それでこれだったらこの作品が何とか出来るなという強い思いを持てたものですから、(新潟県で)撮影しようと思いました。

 

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Q:今回大勢のエキストラの方たちが関わっています。何かひと言いただけますか。

小泉監督:ボランティアの方々が楽しみながら現場に来てくれるのはうれしいですね。僕は今までボランティアの方々と一緒にというのはあまりありませんでした。「影武者」とか「乱」とかエキストラはたくさんいましたけれど、今回のような形ではなかったですしね。地元の形がサポートしてくれるということはこの映画にとって、大きな力になっています。感謝の気持ちでいっぱいです。

Q:新潟県ロケということで、継之助ゆかりの地は訪ねたのでしょうか。

役所広司:はい、牧野家のお墓に行ってきました。やはり地元で撮影するので、ご挨拶しなければいけないという気持ちもありました。

Q:継之助が今も地元の人の中に残っていると感じられたことはありましたか

役所広司:あります。協力してくださったエキストラの方々の中には、昔(先祖が)家臣だったという人もいるし。エキストラで東軍、西軍に分かれるわけですけれど、西軍はやりたくないという人もいるらしいので(笑)この映画の中に「後世のものに伝える」というセリフがたくさんありますが、やはりいまだに新潟県では、戊辰戦争の頃の魂が生き続けているんだなっていうのは実感しますね。

Q:すでに八丁沖長岡城奪還シーンを撮られたと聞いています

小泉監督:八丁沖は映画にとって欠かせない大事な要素で、非常にいい絵が撮れたなと思っています。じつは船頭さんが会津の方で「敵に味方したくない、ならぬものはならぬ」って最初言っていたんです。でも最後は「この映画のためなら、漕ぎます」と言って(船を)漕いでくれました。それはうれしかったですね。

役所広司:沼に浸かりながら行くのかと思ったら、僕は船に乗っていくことになって。見渡すとずーっと後ろまで、長岡藩士たちが連なっていました。とても壮観でしたね。

Q:役所さんは「聯合艦隊司令長官 山本五十六」(2012)、そして今回は河井継之助と長岡ゆかりの人物の役が続いていますが、どのように受け止めていらっしゃいますか

役所広司:五十六さんも、継之助さんも長岡の人たちに「違うな」と言われたら……そのプレッシャーはすごくあります。でも、五十六さんにしろ、継之助さんにしろ、男としてやはり魅力的な人ですので、こういう役に出会えたことは本当に幸運に思っています。

Q:今回、監督は脚本も担当されています。執筆時にどのくらい取材をされたのでしょうか

小泉監督:シナリオハンティングは、僕は今まで一切したことはありません。できるだけ原作に寄り添って、その時代の人に寄り添いたいっていう気持ちは非常に強く持っていますけれど。
「江戸の後期に生きた侍ってどういう人なのかな」そういうことを想像しながら書くことが僕にとっても楽しみであって、それがきちんと浮かび上がってくるには、自分の方から歩み寄らないと心を開いてくれないだろうなと思うんですよ。だからシナリオハンティングするというよりは、司馬さんが思い描いた美しいサムライとはどういう人なのか、それを何とか捕まえたいという思い、その努力だけは一生懸命したつもりです。
司馬さんが何を描きたいか、そこだけは外したくないという思いで、今撮影をしています。

 

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Q:継之助は福島県只見町で亡くなります。役所さんは継之助の最後を、どんな気持ちで演じるのでしょうか。

役所広司:峠は越えたくなかったんでしょうね。悔しかっただろうと思います。継之助自身は自分が信じてやったことについては、悔いることはなかったのかもしれませんが、領民たちが犠牲になったことには非常に悔いがあったと思います。だから峠を越えずに、その部下や民と同じ長岡で最期を迎えたかったんじゃないかなと思いますけれど。

 

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Q:フィルムで撮影されているとお聞きしていますが。

小泉監督:僕たちが育った頃は皆フィルムなんですね。スタッフもそれにいちばん慣れているし、フィルムの持っている力を僕らは信じているので。黒澤(明)さん、小津(安二郎)さん、ジョン・フォード、全部フィルムですよ。黒澤組でフィルムの撮影のリズムを覚えて、スタッフはそれで育っていますから、その感覚は大事にしたいですよね。僕たちが黒澤さんから教わったことを、今度の作品でひとつの集大成にしようかなという気持ちがあって、この作品を通して黒澤さんに良い報告ができればと思っています。

Q:長岡市民はこの映画に大きな期待を寄せています。ぜひ役所さんからコメントをお願いします。

役所広司:今も河井継之助のアンチの方もいらっしゃると伺っていますが、なぜ河井継之助は長岡を焼け野原にしても自分の思いを貫いたのか、それが今回描きたいことではないかと思うんですね。継之助さんは、我々現代人のために行動した方だと思いますので、もしもアンチの人が見ても「ひょっとしたらそうだったのか」ということを感じていただければ大成功のような気がします。

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